「andante a tempo・・・」

  • 2013/06/10(月) 07:30:26

今日も30分です(?)

人は病院という名の箱の中で生まれ
学校という名の箱の中で学び
会社という名の箱の中で仕事を行います

当然家という名の箱の中が暮らしの中心となり
大概は車やバス 電車といった箱に乗って移動も行います

現代社会において我々が
頬に風を感じる事はめっきり少なくなりました

せいぜいが駅まで歩く道のりや
車が止めてある駐車場まで
お弁当を買いにコンビニエンスストアまで

人の暮らしは今
箱から出る事は滅多にありません

中にはバイクや自転車といった乗り物もありますが
あの乗り物で感じるスピード 風が
はたして心地よい自然の空気の流れを感じるものなのでしょうか・・・

だから私は走るのです
ゆっくりではありますが着実に
その一歩はとても小さいですが確実に
外に出て走るのです

「優しいこの箱の中」が嫌いなわけでもありませんけどね・・・


私はたまに生きるスピードを考えます
当然人によってそのスピードは違うと思うし
当然早い人 遅い人がいてよいと思います

はたして理想のスピードとはどれくらいのものなのでしょうね?

私はたまに考えます
もしかして人にとって最適なスピードは
もしかしたら身体の中でトクトクと脈打つ鼓動のスピードじゃないかしらと

たまにはドクドク強く激しく
たまにはトックントックンゆっくり静かに

早すぎても疲れてしまうし
遅すぎても調子悪いし

だから私はゆっくり自分のペースで走るのです
頬に風を感じながら
流れる景色を眺めながら

ゆっくりだけど着実に
少しづつだけど確実に

自分の鼓動を感じながら 前へ前へ進むのです

昨日より明日
明日より明後日

今いるその優しい場所から思い切って抜け出して
今いるそこよりも少しでも前へ

殻をやぶって進むのです

ゆっくりでもいいのです



時間です



理解できない人は「何言ってんだ・・・」
まぁ それで結構結構

「なんとなく なんとなく・・・」

  • 2013/01/13(日) 07:43:44

つい先日の事
チビ達が寝た後 嫁と二人きりで特別意味のない会話をしていた
子供が3人もいると 毎日がとても忙しくて慌しくて
しかも結婚して9年も経った夫婦なんぞ
もはや「会話らしい会話」なんぞ滅多にしない

したとしても学校行事やチビ達の事がメインであり
その程度の会話ですらもはやオレは
半分以上は上の空で聞いてる事の方が多い

別段愛情が冷めたわけではなく
人並みには愛してると思うんだけども
あまりにも一緒にいる事が当たり前になりすぎて
愛すらとても薄い物になってしまった
ただそれだけのお話しにすぎない

とはいえ
「大事」に思う気持ちはなにも
その全てが「愛」という形だけではなく
それはそれで様々な形に変化して
それはそれでやはり嫁を好きなのだろうな
この歳になると そんな事も考えるようにはなった

なにしろまぁ
最後はどうせまたコイツと2人きりになるわけだし
恐らくはそういう時間の方が
これからの人生ではよほど長いだろうし
当然その歳とって
唯一最後まで相手をしてくれるであろうとても大事な相方を
まさかとてもつまらな事で傷つける気は更々ない
微塵もない
一切ない

とはいえそれとは別の感情として
浮気をしてみたい そう思う事もないわけではない

まぁ しないと思うけども
まぁ 未来の話しなど
どれだけしたところでどうなるかなど誰にもわからないし
わかるわけがない
なのでまぁ 浮気うんぬんの話しはこっちに置いておこうと思う


元々自転車で買物に行って
帰りに歩いて帰ってくるほど間抜けな嫁

月に1回は必ず財布と携帯を家の中でなくすし

栓が抜けたままお風呂を貯めた事も幾度もある

先日は7時半にはチビ達が学校に行くために家を出るのに
みんなして7時20分に起きるという失態をかましてくれたらしい
帰ってきたオレに
「今朝はビビッた」そう話していたのだが
「でも間に合った私 やるっ〜」そう嬉しそう話していた

恐らく間抜けの神様に好かれているから
まぁ そこまで危険な目にあわない
結果 結局なんとかはなる
そういうタイプの生き物なのだと思う

「アンタも含めて 私は周囲の人間に恵まれている」
たまにシレッとそんな事を言うんだけども
まぁ まさしくそうなのだろうな
そんな事を思う

っていうか
世の中の大概の間抜けな人間は
大概は間抜けの神様に好かれていて
大概はどんな失敗をしても
最後には必ずどうにかなる

世の中は不思議とそういう風に出来ている

っていうか
世界は絶対平等ではないと思う



先日の事

嫁 「1年って早いよね」
オレ「そうだね」
嫁 「またきっとさ アッという間にお正月とか来るんだろうね」
オレ「そうだね」
嫁 「こやってアッていう間に歳とっていくんだろうね」
オレ「そうだね」
嫁 「いやいや本当 1ヵ月2ヵ月アッという間 1年なんか光の速さ」
オレ「そうだね」

などと話したその舌の根も乾かないうちに

嫁 「っていうかさ 冬終わるまでま〜だあと2ヵ月もあるとか
   超ヤんなっちゃう 2ヵ月って長いよね」
オレ「(えっ)・・・」
嫁 「まだあと2ヵ月も寒いとかさ 超ブルー」
オレ「・・・」
嫁 「2ヵ月とか本当長いわ〜」
オレ「・・・」
嫁 「絶対誰か風邪ひくし・・・ 本当2ヵ月長いわ〜」
オレ「・・・」


いやいやいやいや
なんでオレ こんな間抜けと結婚したんだろ・・・

多分間抜けの神様が
コイツの見張り役としてオレと出会わしたように

恐らくは
オレは人としてとても大事な何かがとても足りないので
それを埋める為にどこぞかのとてもお節介な神様が
オレの見張り役としてコイツを引き合わせた
今ではまぁ そう思うようにしているしだいである・・・

世の中はまぁ 平等ではないと思う
それでもまぁなんとなく
これで中々世の中ってやつは案外うまく出来ている
なのでまぁ世の中まだまだすてたもんじゃない

なんとなくそんな事を思った2013年の1月の出来事でありました・・・

これで中々世の中は結構うまく出来ている
なのでまだまだすてたもんじゃない

だろ

「恥の領域・・・」

  • 2011/11/18(金) 07:33:49

 昨今ブログという「文化」が流行りだし、作家以外のいわゆる「素人」さんなる人達の書く文章が、巷には溢れかえるようになった。
そもそも子供の頃は、学校で出された宿題の「作文」など、人前で発表するのは恥ずかしいものだったはずなのに、それがブログになると、平気で人にさらす事ができてしまうから不思議である。
日記などは、自分の思い出や記憶の為に、今日起きた出来事を、嬉しい事も恥ずかしい事も一緒に書く、当然人に読ませる物ではなく、そういう前提ですらないからこそ、恥も外聞も構わず書けた、そういう物であったはずなのだが、今日(こんにち)のブログに書かれる日記は、そもそもが「読まれる事」を前提に書いているのだから不思議でしょうがない。

 人間にも様々なタイプの人がいる。
内気な人、強気の人、弱気の人、目立ちたい人などなど。つまりは自分を前面に出せる人もいれば、自分をさらけだすのは恥ずかしい人もいる。

 日本人がみな「復興」という同じ方向を向いていた戦後はとうの昔に終わり、就職難や失業率の高さ、政治経済の混迷という問題を抱えてはいるけども、それでも平和でゆとりある人々が増えたこの国は、その余裕が、この国の人々の目を様々な方向へ向かわせ、自由な時間と金の増えた世代では、思想や価値観は多様化していると思われる。つまりは一昔前の「恥ずかしい」と思う行為や思想も、今では全く恥ずかしい事ではなくなり、また昔は全然恥ずかしいと思えないような事を、今ではとても恥ずかしいと思う人が増えたわけである。いや、「恥」なる価値観ですら、現在の日本においては多様化している。

 国民の全てが貧しかった頃、多くの人が食べる事に困難で、みすぼらしい服を着ていた、なのでそれは当然恥ずかしい事ではなかった。それはつまり、飾る必要がなく、隠す物がなく、全てを偽りなくさらけ出すのが当たり前の時代だったからだと思うのだが、では一方で当時の恥の概念としては、「お天道様に顔向け出来ない行為」つまり嘘で人を騙したり、自分よりも弱者を虐めたり、老人やご先祖様や親を大切にしなかったり、我が子を虐げたり、そういう事を恥ずかしいと思う価値観が、確かに昔のこの国にはあったと思うのだが、現代のこの国はどうだろう?

 国民の全てがそこそこ豊になった為、食べられない事や昨日と同じ服を着ている事は恥ずかしい事であるとされるようなった、だけど一方では平気で嘘をつき、弱い者を食い物にする人は増え、親を邪魔にし、我が子を殺し、昔よりもみすぼらしい国になったと私は思う。
また、全ての人が心を隠し、本心を見せず、一方では虚栄をはり、飾り、嘘だけを見せるようになったと思う。いや、心の奥の本当の部分を見せる事自体が恥ずかしい事であると、そういう価値観を多くの人が持つようになったと思う。

 先日とある出来事があった、その出来事自体はとても些細な事であるのだが、その些細な、とてもつまらない他人のとった行動は、私の目にとても恥知らずな行為に映った。
いつからこの国はこんなにも、恥知らずの多い国になったのか、それとも私が現代の思想や価値観についていけてないだけなのだろうか、古い人間なのだろうか、そんな事を考えさせらてしまった。

 電化製品や車や生活は日々進化し変化している。一言で言えば「便利になった」のだろう。合わせて全ての効率が進み、人は益々何かを得る為の時間が増えて行く事だろう。でももしも「恥ずかしい行為」自体の概念が変化し、人の心までもが効率化しているのだとすれば、我々はお金や便利や効率を手にする一方で、とても大事な何かを失くしているのではないか、そんな事を感じ、またこの国は益々ダメな国、いや「恐ろしい国」になっていくのではないか、そんな事を真剣に思った私なのであった・・・


人がダメなのだろうか
それとも国がダメなのだろうか
いや両方か

人がダメだとしたら何が人をダメにさせたのだろうか・・・
国がダメだとしたら国の何がダメなのだろうか・・・

国の力はそれすなわち全てを生み出すと言う意味で人だと思う
つまりはその根本にあるものは政治ではなく人である
と言う事は
やはり先に人がダメになったと考える事が出来る
いや
そもそも人をダメにする土壌が
そもそもこの国には最初からあったとも考えられるか・・・

とはいえ
ダメな人達に育てられたダメな子供達が
また更にダメな大人になりダメな子供を増やし育てると

それを繰り返し今の日本が出来上がったと


それがまたこれからも いつまでも続いていくと・・・

恐らくはこれが
オレが「恐ろしい」と感じる理由なのだと思う

まぁな
ここでこんな事を書いてても
誰の心にも届かないし響かないし
この国もこの国の人達も
な〜〜〜〜んにも変わりはしないけどな・・・

「平和である事・・・」

  • 2011/07/18(月) 07:32:59

平和って何だろうね・・・
ちなみにこれは「ヘイワ」と読むのであって
間違っても「ピンフ」とか読まないように

ロ〜ンッ ピンフ のみ〜 1000点・・・

子供の好きな物
ポテト
ラーメン
プール
ハッピーセットのおもちゃ
炭酸飲料
花火 などなど

なのでまぁ 早速もう花火をした我が家
とはいえな
日本の夏は短いし
早速もうあちこちで花火大会やってるし
なのでまぁ特別早いわけでもないか・・・



花火はオレも嫁も好きだし
なのでまだチビ達が生まれる前から
よく2人でアチコチの花火大会に行ったもんである

が・・・

実は世界的に見てみると
「花火」なる文化はとても有名ではあるけども
実はそ〜〜んなには日本みたいに
そうそう好き勝手には作れないし上げられないんだよね
いや
日本でもそうそう勝手には作れないし
打ち上げたりも出来ないけどね・・・

とある人は言いました
花火は平和の象徴であると・・・

世界的にはまだまだ内乱などをしている国が多く
実は「火薬」をこんなに自由に扱える国は少ないと・・・
いや
貴重な武器になる「火薬」を
こんな事(芸術とか文化とか余興)に使うのは
とてもとても平和な国であると

ある国では小学生にも満たない子供が
その手に銃を持ち戦っている

元は同じ火薬なのに
今我が家のチビ達は
その手に花火を持ち
とても楽しそうに遊んでいる

3尺玉当たりの花火を水平射撃したら
どのくらい威力があり どのくらい殺傷能力がある事か・・・

とはいえ
国が国ならば
そういう事に使ってもおかしくはない・・・

なので花火は平和の象徴である

この先何十年 何百年たっても
夏には花火が見られるのが当たり前の国であるといいな
そんな事をフッと思いました

我が国の子供達がその手にする物は
決して火器や銃器などではなく
色鮮やかな美しい花火でありますように
そんな事をフッと思いました

今年の夏が全ての子供達に
とても素敵な夏でありますように

なんてな てな・・・

「薔薇色の人生・・・」

  • 2010/10/03(日) 07:28:39

「ラ・ヴィ・アン・ローズ」(La Vie en rose)と言う言葉がある
日本語では
「薔薇色の人生」っつ〜意味

とはいえ「薔薇色の人生」っつ〜のは
はたして何色の薔薇なのかね
などと思うのは
オレだけなのだろうか・・・

ピンク、黄色、赤、緑、紫、青
まぁ、野生や原種を含めると30万種類以上とも言われ
今尚日々品種改良されて増え続けている薔薇
そもそもない色なんて今ではもうないからな・・・

だからこそ考える
薔薇色の人生っつ〜のは
はたして何色の薔薇なんだろうと・・・

ちなみに
「青い薔薇」は不可能の代名詞と言われていたのは今は昔の話し
薔薇の品種改良を始めて800年
今世紀に入ってからついに
青い薔薇は完成しているし
今では簡単に手に入れる事も出来るようになった

っつ〜か
どうして薔薇だったんだろう・・・
チューリップでもヒヤシンスでもクレマチスでもなく
どうして薔薇の色に
人生を例えたのだろう・・・

日本で言うところの「桜」同様
世界では
薔薇っつ〜のは不思議ととても特殊な位置にあるわけで
とても特別視されている風潮がある
つまりはそれだけ
薔薇っつ〜花には
昔から脈々と
特別な何かがあったのだろうな
そういう何かを人に
感じさせる花だったのだろうな
などと思うのは
まぁ、きっとオレだけなのだろうな・・・

いろいろな色の薔薇がある
それはつまり
人それぞれに
いろいろな人生がある
どんな色でもいいからさ
その人生っつ〜奴が
薔薇のような素敵な人生であればいいな・・・
恐らくはまぁ
まぁ、そんな願いが込められているのだと思う

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いやまぁね
まぁ、本当どうでもいい話しなんだけどさ

つまりは
本当に言いたかったのは
「薔薇色の人生」よりも
「薔薇のような素敵な人生」
そう言いたかったんじゃないのかな・・・

どんな色でもいいし
どんな花でもいいからさ
素敵な人生おくれたらいいよね
多分はまぁ、そんなお話しだよ・・・

「黄金の国・・・」

  • 2010/08/27(金) 08:12:38

日出国(ひいずるくに)
東方の小さな島国には
黄金の国があるという
名はジパングというらしい・・・

まぁ、知ってる人は知ってる
マルコ・ポーロの東方見聞録だ

ウィキペディアには
この『「宮殿や民家は黄金でできている」というのは中尊寺金色堂についての話を聞いたものといわれている。』
と記述されているが
オレはそういう黄金の宮殿や民家があるから
それを指してジパングの事を黄金の国と言ったのではないんじゃないかな・・・
などと思っている

ちなみにオレは歴史家でも研究家でもないので
あくまでもオレ個人の
勝手な戯言にすぎない

海を渡り
浜から陸にあがり丘を越える
そこにはまぶしいくらいにキラキラ輝く一面の景色
そんな景色が目にとびこんできた異国の旅人は
きっとこの国は黄金で出来ていると思った事だと思う・・・

今でもオレは
この国でその景色を見る事が出来ると思っている
それはつまり
金色に稲穂が実る季節だ
金色の麦が頭を垂れる時だ
一面の金色に輝く稲
どこまでも続く金色の草原
それらが雨露に濡れて
それが風にたなびくたびにキラキラと太陽を反射して
まばゆいばかりに眩しく輝く
一面の金色 一面の金色 一面の金色

元々農耕民族のジパングでは
稲や麦を当然当時から
今の何倍もの面積で栽培していたと思われる

オレの住んでいる場所は本当に田舎なので
一面の向日葵畑
一面のコスモス畑
一面のポピー
車で少し走ると
どこまでも続く一面の○○と言う物に
季節毎に遭遇できる
どこまでも続く色々な花の
一面の花畑も嫌いじゃないけども
やはりオレは
秋に金色に実り
頭を垂れた稲穂がどこまでも続く景色が
何よりも大好きかな ってね
そんな事を思うんだ

それまでずっと海の上で何日も過ごし
大海原の海景色に飽きてきた異国の旅人が
いきなりその稲穂の大草原を見たらね
はたして何を思うかね・・・ ってね
そんな事を考えてしまうんだ

な〜んてね
まぁ、たまには異国の旅人に思いを馳せてみるものいいかもよ
ロマンチックっつ〜のはつまり
まぁ、そういう事を言うんだよ
な〜んてな

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っつ〜かね
まぁ、どうでもいい話しなんだけどね・・・

っつ〜かね
「その者 青き衣をまといて 金色の野に降り立つ・・・」っつ〜ね
風の谷のナウシカとは一切関係ない話しである・・・

春に植えた稲が実をつけ頭を垂れる季節がやってきた
またあちらこちらで稲刈りが始まる
世には新米が出回り
そしてオレにはほんの少し寂しい季節・・・

秋がもうそこまで来てるね・・・

「棘・・・」

  • 2010/06/04(金) 07:55:28

「美しい花には棘がある」などと
とても有名な言葉があるけども
世の中には存在が確認されているだけで
花の種類は実に1千万種類以上がある

棘がある花っていうのは
実はたかが80万種類くらいなんだけども
それでは棘のない
900万種類以上の花は
美しくないとでも言うのだろうか・・・

朝顔、向日葵、百合、牡丹、蓮華、紫陽花、秋桜、桜
どれもこれも棘などないから
美しくない花だとでも言うのだろうか
全くそんな事はないだろ
一体全体この
「美しい花には棘がある」っていうのは
何の事を言ってるんだろう
などと思うのは
はたしてオレだけであろうか・・・

「美しい花には棘がある」
往々にしてこの言葉は
花本来の事を指すよりも
「人」特に「美しい女性」に使われる事の方が多い
つまりは
「美しい女性には気をつけろ」
というような具合だ
往々にして美しい女性というのは
意地悪、危険、淫靡、陥れようとか、騙そうとか
そういう部分があるから注意しろという
まぁ、そういう風に使われるのだが・・・
が・・・

別にさ
全然美しくない人でもさ
女性じゃなく男でもさ
老若男女問わず人なんてさ
多かれ少なかれ
そういう人としてのイヤな部分なんてあるだろ
普通あるよな
別に美しい女性だけに気をつけた方がいいわけじゃないよな
だろ
なんで美しい女性にだけ棘があるとか思うんだろう
などと思うのは
はたしてオレだけであろうか・・・

つまりはさ
この
「美しい花には棘がある」っつ〜言葉自体
根本的にその存在する意義も意味もわからないと
そういう風に思うのは
はたしてオレだけなのであろうか・・・

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いやまぁね
本当こういうどうでもいい話しをさ
たまに延々と考えているんだよね
だからさ
たまにスゲ〜書きたくなるんだよね
その為にね
わざわざこの
「エッセイとかコラムっぽい感じ・・・」っつ〜カテゴリを作ったわけ

何の役にもたたない
誰の為にもならない
本当どうでもいいロクでもない話し
オレ大好きなんだよね・・・

でもさ
そういう無駄があるからこそ
人生なんて面白いんじゃないかって
オレは思っちゃうんだよね・・・
オレはね・・・

「エッセイとコラム・・・」

  • 2010/05/29(土) 08:22:10

エッセー(essay)
 随筆。散文。試論。小論。
 自分で感じたことや体験・見聞したことを、自由な形式で書いた文章。

コラム(column)
 新聞・雑誌の囲み記事。短評欄。

などとあるのだが
まぁ、たいして大きな違いが明確にあるわけではないみたいな感じ・・・

 何故こんな事を書いたのかと言われれば
これには一つわけがある
っていうのも実はオレ
今までここに書いてきた内容以外にも
実は書きたい事が山ほどある・・・

オレの中の何かが
お前 それはここで書いたらダメだろ・・・ と
あくまでもここは
一応ゆうてもスロブログに属するカテゴリーだろ・・・ と
普段結構勝手な事をダラダラ書いてる割には
まぁ、変な自尊心というか抑止力というか
それはお前 さすがに違うだろ と
オレの中の誰かが
まぁ、それを書く事を止めるわけ・・・

 本来なら
それならそれで
それ用のブログをどっか別の所で開設すればいいだけの話しなんだけども
そこはほれ
面倒だし
毎日書きたいわけでもないし
たまにだしっつんで・・・

 ほいじゃ〜よ
てっとり早くここで
新しいカテゴリ作って
今後はそういう記事も書くぜっつんで
まぁ、宣言しちゃった方が楽かな みたいな
まぁ、そんな事を思いたったわけ

 まぁね
小説っぽい感じとか
思想的な話しとか
政治的な話しとか
まぁ、普段からそんな事を平気で書いてるんだからさ
まぁ、今更エッセイやコラムっぽい事の一つや二つ書いたところで
まぁ、誰も何も言ってこないのはわかってるんだけども・・・

 っていうか
なんとなくなんだけどさ
1ヵ月の記事数っつ〜のがさ
50とか60とかもあるとさ
お前は暇なのか? みたいなところあるじゃない・・・
あるよね?
しかも
たいした内容でもないくせに
数多けりゃいいってもんじゃね〜だろ みたいな
あるよね?
えっ オレだけ・・・
なもんだからさ
実はね
これでもオレ
書きたい記事を自制してるところがあるのよ
でもね
もういいや みたいな
やっぱ書くわ みたいな
まぁ、そんな事を思ったわけ・・・

 なもんだから
「1日1記事」を基本にして今日までやってきたけども
まぁ、今後は
「1日1記事以上かも・・・」みたいな感じで
まぁ、やっていこうかな みたいな
しかも
スロには全然関係ない事も書いちゃうぜ みたいな
いや
今まで以上に
どうでもいい事バンバン書いちゃうぜ みたいなね
まぁ、そんな宣言を
今日この記事をもってしたわけ

 当たり前だけども
誰かに了解や賛同を得ようとなどは全く思ってないわけで
むしろ反対されてもやるわけで
つまりはまぁ
そういう事なんだ・・・

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テーマとしては
こうなんつ〜かね
ほらっ
オレって文章無駄に長いところあるじゃない
あるよね
知ってる
自分でも理解してる
ってか
ほっとけ
なもんだから
こうなんつ〜かね
もう少し短めにね
サラッっと書いてみたいな
みたいな感じかな・・・
ってか
みんなもさ
何気にオレのエッセーとかコラム
読んでみたいでしょ・・・

ウソです
ゴメンナサイ・・・
言ってみただけです・・・