「誰の為を想うのか・・・」

  • 2013/09/06(金) 07:30:55

昨日は少し
人は誰に(何に)優しい人であるべきか
ゆうテーマで考えてみたけども
今日も少し続きのお話しをしたと思います

小面倒な人はサクッと戻るボタンか×ボタン 
とっとと押しちゃいなさい


「風立ちぬ」ゆう映画を見て
あら〜「タバコ」のシーンが多すぎるべっ〜 
ゆうた田舎者がいたらしいけども

あれだな
こいつ等は誰から目線で
誰の為を思って言っているのだろうな
と思ったものである

同様に「はだしのゲン」論争な
あれは誰の為を思って言ってる論争なのか って
相変わらず半笑いでニュースを見ていたものである



「毎年終わらない夏休みの宿題は
 結局最後は親が手伝ってくれる」

という子供の話しを聞いたとある湯川学准教授はこう言っている

「それは手伝っているのではなく 邪魔しているだけだ」と

ふむ
中々に深いお言葉

そもそもが優しいとか親切 な〜んて価値観は
そもそもがこっち側からの勝手なオナニーでしかないと思うんだ

中には相手が感謝して 
有りがたいと思ってくれる事もあると思うけど
もう一方から見た場合
それはもしかしたら「助けた」じゃなく
「相手の為にならない」
邪魔をしてしまっただけなのかもしれないっつ〜お話しだね


もしかしたら教育に対する理論とか方法論のお話しになってしまうのかもしれないけども
最近はヤケにやれカッターナイフは危ないだの
のぼり棒は危険な遊戯だの言って取り除いて
本当子供達に優しい親が増えてるみたいだけども
はたして

「危険から遠ざける事が本当に良い事なのか」

それが子供達の為になるのか
つまりはそういうお話しなのだと思う

ドリフゆうテレビ番組は教育上よくない
クレヨンしんちゃんゆうアニメは子供に見せたくない
漫画読むのは時間の無駄
危険な遊びは一切ダメ
あれもダメ これもダメ
それもいけない これもいけない

あげくのはてにははだしのゲンは ってか・・・

はいはい 暇なこって

朝から晩まで子供の見る物 聞く物 食べる物
何から何まで一切合切あと追っかけて確認しろいっ て思う

思わない

本当に大事なのじは

「本当にその人の為になるのか」

が一番大事なはずなのに

優先順位は

「私はそれは危険だと思う」

になっているように思う


私がダメだと思った事は
当然子供達にはダメ
だって私の考え方は全て正しいもん ってか

君らが育てているのは人形か?
いや
人形のようになんでも言う事を聞かせたいだけなんじゃないのか

いや
本当に危険な事も世の中にはたくさなる
触れさせたくない物
見せたくないもの
そら〜世の中にはたくさんあると思う

けど

最近そのハードル低くなっとりゃ〜せんかい
って 正直思う

いわゆる過保護って奴だ
親バカじゃなくバカ親って奴だ

このタイプの人間は大概は
子供の為じゃなく 自分の為に動いている
そう相場は決まっている



「誰の為を思うのか」

子供の為なのか
自分の為なのか

子供の事を思うのならば
時に怒る事もあるし イヤな事もさせなくちゃ〜いけないし
危険な目に合うとわかってても旅たたせる事も必要になるし
教えない事もある

「親」ゆう字は
木の上に立って見守るという意味らしい
そう 見守るだ

子供の歩く先々に先回りにして
危ない物がないか 
危険な物がないかを確認し 取り除くのが親ではない

手取り足取り
あれせい これせい あれはダメ これはダメ 教えるのが親ではない

何があっても「見守る」
つまりは
子供達に自ら学ばせる
危ないも楽しいも下らないも怖いも
「決めるのは子供達」だ
いや
子供達が決めないと何も意味はない

オレはそう思うし
それをするのが親の役目だと思う

手を貸すのはのはとても簡単で
オレだってバカ親だからスグに助けてあげたくなる
けど
それは助けているのではなく
彼ら 彼女らのこれからの人生においては
ただ邪魔しているだけであるのなら

歯をくいしばって 手を貸さない
見守る

それこそが親が親でありつづける事なのではないのかな
な〜んて思います

怖い思いをさせない
危険な目に合わせないのが親の役目じゃなく
怖い思いをして泣いて帰ってきたら抱きしめてやる
それが「本当の優しいの選択」だと思います

「良かれと思って邪魔をする」
最近の優しいは
そんな事ばかりだな・・・
な〜んて思ったので
少し親として記事にしてみました

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